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教育の理想の場

Posted by 神風 宏太 on 29.2011 平凡な主張 0 comments 0 trackback

高齢者の方の積んできた経験は立派な財産である

その立派な財産を後世の人に残したいと思うのが

人間の一つの欲なのである

また、人間には知りたいと思う欲もある

この欲がうまく合致すれば、理想の教育の場が広がる

たとえば、お笑いの師匠が自分の笑いを後世に伝えるために

笑いをとるためのネタ作りとしゃべり方を

人を笑わせる術を知らない弟子に教えるみたいに



私たちの日常生活にもそれと同じようなことがあります

しかし、この理想の教育の場を作るのは難しい

若者はそれに対して尊敬の念を抱くことなく

無視をすることが多いし

教える側もうんちくを垂れ流すだけ

これは、教える側も教えられる側も悪循環に陥ってしまう

教えられる側は、技術や知識を得ることができず

教える側は、自分の技術に対して新たな風を生むことができなくなる

このような悪循環を阻止するためにはどうしたらいいのであろうか?





人が何かに興味をもつにはどうしたらいいのであろうか

「おもしろい」とか「自分もやってみたい」とか

思わせるのが肝心であるとよく言う

よくある例としては、

戦隊ヒーローのテレビ番組を見て

「かっこいい」

「自分もあんな風に戦ってみたい」

とヒーローたちにあこがれて

自分もかっこいい決めポーズをとって

怪獣に(たいていの場合はお父さんに)何かしらの技を使って

ヒーローのまねをするようになる

これが理想の教育にヒントになるのでは?


ヒーロものだと男の子しか憧れを持たないが

技術に対するあこがれというのは誰しも持つものである



たとえば、イチロー選手のファインプレーを見て

大人は「ああ、すごいな。さすがイチローだな。」で終わるのが

子供は「すげぇ。こんなこと自分もやってみてぇ」と思うのだ

子供というものは、何も知らないがゆえに

できそうと思ったら、とにかくなんでもチャレンジする

これが、大人だと

「できるかもしれないけど、どうせ失敗するに決まってる」

と思ってしまうのがほとんど

子供には、チャレンジ精神がいくらでも眠っているのだ。




しかし、イチロー選手みたいなプロ級な技を持っている人は

そう身近にはなかなかいない

昔なら一本の竹から竹とんぼを一瞬にして作る

職人技のように遊び道具を作ってくれる人がいたと

よく聞きますが、今はそういう方を探すのが難しい

では、どうすればいいのか?

一番手っ取り早いのは、一流のものに会いに行くこと

プロ野球を見に野球場に行く

一流の芸術家の作品を見に美術館に行く

プロの歌手の歌声を聴きにコンサートへ行く

でも、なかなかそんなところに行けませんよね

行く時間もお金もなかなか取れません

じゃあ、どうするか?

現代では、そういった一流なものを

テレビやインターネットで疑似体験することができる

そこから先ほどのように子どもが「自分もやってみたい」と思う

そして、自分の知っていることを子供たちに教える

ここでいう知っているは、うんちくではない

裏打ちされた知識のことである

もし、こどもが自分の専門外のことに興味を持ったのなら

その道をよく知る人に潔く子供を預けよう

潔さも教育に必要なのである。




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子供をいかに勉強させるか

Posted by 神風 宏太 on 21.2010 平凡な主張 0 comments 0 trackback

「勉強しなさい」

その言葉を聞いたことが何回もあるやつは多いんじゃないだろうか

いざ勉強をしようと思い立ったときにこの言葉を言われると

せっかく生まれた勉強する意欲もなくなるだけでなく

変に癇に障ってしまい、イライラしてしまうという

最悪な効果を生み出してしまう、「勉強しなさい」という言葉

これが「戦争しなさい」と言って、戦争する意欲がなくなると大変素晴らしいのだが・・・

どうやら人間は勉強とか練習とか

何かのディシップリン(訓練)をしろと言われると

一気に意欲がなくなり、不快になるらしい

いわば、命令かつ使役の言葉は、人を簡単に不快にさせる

不思議な言葉なのだ

では、子供にどうやって勉強させるのか、という問いが当然生まれてくる

そもそも「子供に勉強をさせる」という行為が

間違っていることを自覚しなければならない

子供は常日頃から勉強している

いや、子供でなくとも人間、犬、猫

すべての動物は何かしらの勉強をしているのだ

そこに国が定めた、国語だの算数だの理科だのを学校で教わるわけだ

そして、この定められた『教科』というものを学習することが勉強というらしい

しかし、そのうちのほとんどが大変、なんの役に立つかわからんと子供を悩ませるものである

小学校のうちに習っていることは頻繁に出てくるが

中学やましてや、高校の勉強で、日常生活に役に立つことは大変少ないのが現状である

そして、何のために勉強をしているのか分からなくなった子供たちに

「勉強しなさい」という言葉は、かなり理不尽に感じるものなのだ

たいていの子供が、何のために勉強するのか聞いてくるであろう

ここで子供にとって、一番最悪な答えは

「将来役に立つ」だの、「大切だから」と

今すぐには、君たちにはわからないよと示唆する答えである

これでは、子供たちは腑に落ちない

そこで、「じゃあ、大人になって実際役に立ったの?」

と、子供は聞いてくるわけである。

たいていの人はその場をはぐらかし、子供たちをさらに不快にさせ

勉強に対する価値観を失わせるわけである



子供たちは一番求めているのは

『具体的』な、勉強することの意義、あるいは目的である

だが、そもそも一般的な『勉強』というものに

子供たちが直接的にかかわるような目的や意義はないのである

最終的に得をするのは国なのだから

では、勉強しても意味がないのかという人もいる

むろん、答えはノーである

そうでなければ、人間は勉強をやめようという決断をとうにしているであろう

そうまでしても人が勉強する意義であるが

人によってそれぞれ違うといえば

そんなもん答えになってないと言うだろう

私はかねがね、勉強している意味を高校のときから考えてきたわけだ

最初に考えたのは、よくある「将来のため」というもの

しかし、これは前述したとおり、全然答えになってないのだ

次に考えたのが、「自分を再認識するもの」という考えだ

自分は何が得意で何が苦手なのか、だけではなく

自分がどういう考えを持って、どういう行動をする傾向があるのかというのも

今一度、認識していくことで自我同一性を深めていくため

などと、行きつくところが自我同一性という

なんと倫理的な研究であろうか・・・

これでは勉強とは言い難い

その次に、私は「人生を楽しくするもの」と考えた

いわば、楽観的に勉強というものを捉えたのである

勉強すればいろんな知識が得ることができ

その知識を活用したときのあの快感を得るがために勉強しているのではないだろうか

しかし、その快感を味わう必要性と、快感を感じない人もいるわけだから

これは万人に共通するものではないと

結局のところ、わからないのである

答えと思うものを見つけては、その否定がすぐに出てくる

この繰り返しである

もちろん、個人的に答えと思うものがあるのなら

それを答えだと信じてもらったら、それでいいのだと思う

しかし、誰もが納得いく勉強する意義といものは、見つからないのだ





勉強しないと困る時が必ず来る

それを知っている親たちは、子供たちに勉強するよう促したい

子は親の背中を見て育つ

という言葉があるが、親が必死に勉強しているところを見て

馬鹿にする子供は、はたしているだろうか

なぜ、そんなに必死になって勉強しているのかと疑問に思うのが普通であろう

そして、いろいろと考えたあげく

「じゃあ、自分で実際に『勉強』とやらをやってみようじゃないか」

と、思うようになれば、一番理想的ではないだろうか

それでも、なかなか勉強をしない子供がいる

そういう時は、子供に

「勉強は楽しいか?」

と聞いてみるといい

大抵の子供は、何を言ってるんだという反応を示すが

しかし、不快には感じずに妙にこの言葉に引っ掛かってしまうのだ

もし「楽しくない」と言ってきたのなら

「そうか。じゃあ、頑張らなくてもいいぞ」

と、笑いながら言えば、丸く収まるのである。

子供も最初は、そんなんでいいのかよと思いながら

勝手に自分に危機感とかもつようになったり

勉強は楽しいとか楽しくないとか関係あるのかと考えたりするのだ

そして、いつのまにか自然と勉強をしだすものなのである

だから、「勉強しなさい」ではなくて、「勉強をする準備をしてるか?」

という、勉強に対して意識が向いているかを確認することが

子供が勉強に目覚めるために重要なことなのだ




終わり・・・

絶対悪と絶対善

Posted by 神風 宏太 on 21.2009 平凡な主張 0 comments 0 trackback

そんなものあってたまるか

そもそもこの世に絶対という言葉は

とある前提条件の下に成り立つのである


「人を殺すのは絶対悪だ」

そうだろうか?

じゃあ、動物を殺して生きている私たちは全員悪くないのはおかしいではないか?

ここで問題なのは、

人を殺すことすべてが悪ととらえるのは間違っている

また、人を殺すことによりもたらされる利益というものが生じる



もし、あなたが私の言い分が間違っているというのならば

そう思ってくれていてもかまわないが

ただ、誰もが絶対悪と絶対善があるとは思っていないことを忘れてはならない

何が絶対悪か何が絶対善かを述べてほしい



友人を裏切ること

これは絶対なる悪か?

裏切るとは、相手が期待していたこととは反したことをすることである

でも、友人が自分に人を殺すように期待したとき、裏切ったら悪なのか?


『弱気なことを悩んでいる相手にも、そして、相談された自分にも納得できる、アドバイスの仕方とは?』

Posted by 神風 宏太 on 31.2009 平凡な主張 0 comments
とある人に久しぶりに会った後

その人とメールしてる際、

「気が弱いのはどうしたら治る?」

ということを聞かれ

「自信をつけるために人一倍努力するとか、あえて開き直るのはどうだろうか」

と、送ろうとしたが・・・・

でも、人一倍頑張ってるやつにさらに頑張れというのはどうかな?

て、思ったわけですよ

・・・大分、考えさせられたよ

こういうとき、カウンセラーの人とかどう答えるんやろ

だってさ、誰もが納得できる答え出せるほど、

俺は偉くもないし、すごくもないし・・・

無責任なことは言えへんしな・・・

とりあえず、返信はしたけど・・・

う~ん、でも、自分の中じゃ腑に落ちへんねんなぁ

みんなやったら、どうするんかな?



終わり・・・

久々に

Posted by 神風 宏太 on 01.2008 平凡な主張 0 comments 0 trackback

「仕事は増えているのに給料が減っている」

これはある一教師の一言である

今の世の中不景気で、仕事が増えて、

給料も中々上がらないのは当然と思う人が居るようだが

教師の場合は少し違う

今、少子化である、日本で一番存続が危ぶまれるのは教師である

子供が居なければ学校は経営していけない

特に私立はそうである

今、学校では合併して何とか乗り切ろうというところさえある

普通に考えると、少子かなのだから

教師一人辺りが持つ子供の数は量的に減り、

楽になるのではないのかと思う人も居るだろうが

そんなことはない

むしろ子供が減るに伴いわずかながらも教師も減る

また、子供が減ればクラスの数も少なくなり

1クラスあたりの人数が増えることもある

つまり、1学年130人なら、クラスは4つに分け、

一人の先生が受け持つ生徒の数は32人ぐらいになるが

1学年110人になると、クラスは3つになり

一人の先生が受け持つのは37人ぐらいとなる

たかが5人と思うが、

5人増えるだけで教師の仕事はかなり重くなる

コレが小学校ならなおさらである。

テストの丸つけ、通知表、教材作り・・・

教師の仕事は決して楽ではない



だが、給料は減る一方

原因は納税者の減少もあるが、

政府にも問題がある

・・・とここまで書いておきながら

長くなりそうやから

やめます


政府には色々文句言いたいけど

悪いのは国民もやからな



終わり・・・

  

プロフィール

神風 宏太

Author:神風 宏太
HN 神風

性別 ♂

年齢 高校3年生

血液型 A型(全然几帳面では無いけど・・・)



好きな芸能人

由良有里紗

顔とかめっちゃ好みです
そこ、マイナーとか言わない(笑



好きな音楽グループ

QUEEN、McFly・・・

基本、洋楽が好きです
洋楽好きの人、一度、語り合いましょう(笑

邦楽では、HYとか




こんな、自分ですが、どうかよろしくお願いします^^

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